2007年11月27日

見落とされている総合格闘技の起源Part2~シャムロック兄弟とバス・ルッテンがパンクラス時代の真相を明かす

新・格闘技バイブル(松浪健四郎)
新・格闘技バイブル

海外サイトが「日本の総合格闘技の起源」として力道山と前田日明を紹介(2007年11月05日)

 3週間前に書いたこちらの記事の続きです

The overlooked origins of mixed martial arts: Part II(CBSSports.com)
(変訳)見落とされている総合格闘技の起源Part2

 以下、本文を簡潔に変訳。

・第2次UWFの解散によって団体の主要メンバーはそれぞれ異なる方向性を目指すことになりました。結果、複数の新団体が生まれ、リアリティの度合いも異なることになりました。

・最も成功を収めた団体はUWFインターナショナルでした。同団体は高田延彦をエースに据え、旧態依然の日本のプロレス団体を挑発する戦略をとりました。同団体出身のレスラーでは桜庭和志と田村潔司がMMAでも成功を収めました。

・前田日明はリングスを旗揚げしました。同団体は前田を中心に多くの選手が参加しました。当初はワークとシュートが混在していましたが、時間の経過とともに最終的には全試合シュートマッチをするようになりました。同団体にはアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラやエメリヤーエンコ・ヒョードルといった一流の選手が参加していました。

・リングスとUインターが活動を続けていた時に、もう一つのUWFグループで新たな動きがありました。それがパンクラスです。同団体はポピュラーな団体としては日本で初めて全試合シュートの試合を行いました。

・ケン・シャムロックはパンクラス創立の経緯をこう語ります。「身体の衰えた40代50代の人間が試合をしているのはおかしい。本当に強い者が勝つ団体を作りたかった」。

 若干のツッコミ所がありますな。Uインターは高田が北尾光司を下した時からのブレイク度はすさまじいものがあったが、崩壊するのは一番早かったので、「最も成功を収めた団体」とは言いがたい。最も経営が安定してたのはWOWOWが付いていたリングスだったと思う。パンクラス旗揚げ時は馬場、猪木が衰えた身体でリングに上がり続けていた時代だったので、そのことを揶揄するようなことは言っていた。未だに現役のシャムロックは因果応報というか(笑)。

・船木誠勝、鈴木みのる、ケン・シャムロックは第2次UWFが分裂して最初に旗揚げした団体であった藤原組を離脱し、パンクラスを旗揚げしました。藤原組でもシュートマッチを模索していましたが、その大半はワークでした。藤原組最初のシュートマッチは1992年10月4日東京ドームで行われ、ケン・シャムロックvs.ドン・中矢・ニールセンと、高橋義生vs.スパマン・オー・ソットサバーがそれに該当します。しかし、その他の試合はワークでした。

・1993年9月21日にパンクラスは旗揚げしました。ジョシュ・バーネットはパンクラスの旗揚げ戦をこう解説します。「1、2分で試合が終わってしまうものだから、多くの人が衝撃を受けていた。これまでのプロレスの常識からは考えられないからね」。旗揚げ戦の試合時間は合計しても僅か13分5秒でした。

・パンクラス最大のスター選手は船木誠勝で、世界中のトップファイターと戦いました。ジョシュ・バーネットは船木を「日本の象徴」と評し、フランク・シャムロックは「ゴールデンボーイ」と呼んでいました。

・ケン・シャムロックは船木のことを最高の家庭教師と評し、「彼からは最も多くのことを学んだ」と証言します。

・船木の肉体的なピークは90年代前半でした。鈴木みのる、ケン・シャムロック、フランク・シャムロック、バス・ルッテンといったパンクラスのトップファイター全員に勝ったのもこの頃でした。

・フランク・シャムロックはこう証言します。「船木はマッドサイエンティスト(狂った科学者)のようでした。サブミッションの研究に余念が無く、他の日本人選手の追随を許さなかった。身体を誰よりもいじめ抜いてより高いレベルを追求していました」。

 藤原組の東京ドームで船木はモーリス・スミスと引き分けているのだが、試合内容に納得できなかった船木は号泣したはず。一説では「ガチンコをやらせてもらえなかったから」とも言われている。シャムロック兄弟は船木のことをベタ誉めですね。

・その他の日本人スター選手には鈴木みのるがいました。彼は選手を育てるために悪役を買って出ました。ケン・シャムロックは鈴木のことを「彼は他の選手と距離を置いていました。素晴らしい悪役でした」。フランク・シャムロックは「彼は髪型も服装も典型的な日本の不良でした」と言います。ジョシュ・バーネットは鈴木みのるのファンでした。

・鈴木は悪役を演じる一方で技術の高さは尊敬を集めていました。フランク・シャムロックは「彼の技術的な能力、知識、コーディネートは私が思いつくことができたものは全て超えていました」と言い、バス・ルッテンは「彼はグランドの魔術師でした」と証言します。

 「典型的な日本の不良」ねぇ・・・(苦笑)。

・バス・ルッテンは初期パンクラスで最も成功を収めた選手の一人です。彼は優秀なキックボクサーで日本の複数の団体が興味を示していました。彼はパンクラスを選んだ理由をこう話します。「リングスからもほぼ同条件のオファーがありました。しかしそこの試合はFIX(八百長)でした。一方パンクラスの方はリアルでした」

・フランク・シャムロックは「彼のキックボクシングは破壊的でした」と証言します。「誰もがルッテンの打撃を恐れていました。パンクラスはリアルファイトとはいえあくまでスポーツだと考えていたが、ルッテンはストリートファイターのようでした」。

・ルッテンは当初はグランドでの戦いに苦労しました。そこで彼はサブミッションの研究に着手しました。彼はビデオを見て独学で学びました。「私は見たことをすぐに実践することが出来ました」「結果、私は新たな戦法を発見することが出来ました」。改善に成功したルッテンはパンクラスでしばらく無敗の時代を築きました。

・フランク・シャムロックは6ヶ月間兄のケン・シャムロックと練習し、その後2ヶ月間日本で練習を積んでパンクラスでデビューしました。彼はトップファイターになりましたが、当初は全く期待されていませんでした。

 バス・ルッテンはサラッと暴露しちゃいましたねぇ(苦笑)。

・パンクラスは大きな成功を収めました。しかし、同時に選手の身体には大きなダメージが蓄積されていきました。多くの選手が6週間おきに試合をし、ケガが絶えることはありませんでした。その結果、船木、鈴木、ルッテンの選手としてのピークは短いものとなってしまいました。

・パンクラスはシュート団体であったものの、初期の頃はプロレスから完全に逸脱することは出来ませんでした。時折結果が決まっている試合がありました。ケン・シャムロックは渋りながらもその点については認めます。「やりたくはなかったが、そういう試合をしたことも数回あります」。

・1993年から1994年にかけて船木と鈴木は観客を楽しませるために時折台本を作っていました。ただし、これに関しては意見は分かれます。バス・ルッテンは負けブックを頼まれたこともなければ、頼まれた選手を見たこともないと言います。ただし、「日本人同士の試合でやけにスイングした試合はいくつかあった」ということは認めます。

 やはりガチンコは2、3ヶ月はインターバルが必要ということか。

・パンクラスは現在も存続しているものの、シュート団体のトップの座は97年にPRIDEが誕生してからは、その地位を奪われました。

・Uインターは崩壊し、高田は多額の借金を背負いました。PRIDEは高田を担ぎ出して旗揚げしましたが、ファイターとしての化けの皮が剥がれてしまいました。しかし、もう一人のUインターのレスラーがPRIDEのトップファイターに浮上しました。それが桜庭和志です。彼の人気のおかげでPRIDEは一気に巨大化に成功しました。

・PRIDEの成功はそのルーツを知っていないことには完全に理解することが出来ません。ジョシュ・バーネットは、「Uインター、リングス、パンクラスなくしてPRIDEの成功はなかったでしょう。PRIDEの成功裏にはプロレスの存在なくしてありえません」と言います。

・UFCとPRIDEは総合格闘技の形成を構築しました。しかし、両者は全く異なる伝統から派生し、全く異なる支持層を狙いました。MMAの歴史はひとつでなく、両方の物語なのです。

 シャムロック兄弟、ルッテン、ジョシュからコメントをもらい、よくここまで調べたなぁと感心しますね。

 全体の感想ですが、ルッテンがワークを頼まれたことも聞いたこともなかったとは意外。船木の評価がやたら高いのにも。エベンゼール・フォンテス・ブラガ戦で失望した自分としては、「旧パンクラスルールでは強かったがMMAルールに着いていけなかった」という認識だったが、体力面でピークを過ぎてたってのもあったのかも。

 また、ケン・シャムロック曰く「彼からは最も多くのことを学んだ」とのことだが、パンクラス時代の弟子がGRABA相手に分が悪かったり、現在の弟子である柴田勝頼の見るに堪えない弱さを考えると指導者としての力量にも疑問符が付くのだが・・・。

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posted by ジーニアス at 07:52| Comment(4) | TrackBack(0) | プロレス&格闘技 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>ケン・シャムロック曰く「彼からは最も多くのことを学んだ」

まあ傍らから見ていての姿勢、ということではないでしょうか。
船木との初対戦以来ケンシャムは船木から学び続けたということでしょうね。指導者と弟子という関係ではなく。


>体力面でピークを過ぎてたってのもあったのかも

パンクラ旗揚げからブラガ戦まで5年半も経てますからねえ(苦笑)。その間にはルッテン戦みたいなものありそりゃボロボロにもなってるだろうと。
大晦日の桜庭戦に唯一期待するとすれば完全オーバーホールした状態での船木が見られるという点ですね。実戦のカンについては全く望めないだけに(苦笑)そこだけは期待したいです。
Posted by ふるきち at 2007年11月28日 06:22
>ふるきちさん
実戦の勘もそうですが、柴田の試合を見ていると技術レベルが10年前なんですよね。船木の技術もそこで止まってるような気がして(苦笑)。
Posted by ジーニアス at 2007年11月28日 08:05
ルッテンがリングスをこき下ろすのは前田から酷評されたからなんですよね。
Posted by 門 at 2007年11月30日 02:10
>門さん
でもリングスがルッテンにオファーした当時はヤオガチ混在だったので・・・。
Posted by ジーニアス at 2007年11月30日 20:42
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