2007年11月05日

海外サイトが「日本の総合格闘技の起源」として力道山と前田日明を紹介

ルー・テーズ対力道山 世界選手権争奪戦
ルー・テーズ対力道山 世界選手権争奪戦


Thursday trash talk: Japan’s tough guys(Fight Opinion)

 こちらによると、CBS Sportsにトッド・マーチン氏が「日本の総合格闘技の進化」についてのコラムを書いているのですが、その内容を軽くいちゃもんをつけています。

・力道山と木村政彦の“セメント”事件を取り上げなかったこと。

・力道山はプロレスラーはガチンコでも強くなければいけないことを信条としており、ボクシング、テコンドー、柔道などの研究をしなければいけないと考えていた。

・カール・ゴッチは多くの人たちから尊敬されているが、フロリダでハルク・ホーガンやレックス・ルガーらを鍛え上げ、ガチンコの強さも教えたヒロ・マツダのことも賞賛されるべきである。

 力道山 vs.木村政彦のVTRも掲載している。



 Fight Opinionさんの言うCBS Sportsのコラムはこちら。

The overlooked origins of mixed martial arts: Part I(CBSSports.com)
(変訳)見落とされている総合格闘技の起源Part1

 日本のプロ格ファンなら知っていることが多いが、興味深いところをピックアップ。

・第1回UFCから新しいスポーツが誕生したが、MMAビジネスはアメリカと日本で急速に成長した。

・アメリカと日本のプロレスは全く違う形で成長を遂げた。アメリカでは事前に全てが決まっているショーという認識しかないが、日本ではプロレスがMMAの源流となっている。

・アントニオ猪木があらゆる格闘技の選手をリングに上げ対戦した。柔道のウィリアム・ルスカ、空手家のウィリー・ウィリアムスらが対戦した。最も有名なのはモハメド・アリ戦でシュートマッチだった。

・一方でカール・ゴッチやビル・ロビンソンを招聘し、日本の若手レスラーにサブミッションを指導した。

 これ書いたトッド・マーチンさんは勉強してますね。

1976年のアントニオ猪木
1976年のアントニオ猪木


 おそらく『1976年のアントニオ猪木』も読んでいるでしょう。

・カール・ゴッチの訓練を受けたことのあるケン・シャムロックは「練習後は歩くこともままならなかった」と、厳しかった練習を振り返った。

・フランク・シャムロックは「ゴッチからは古くからあるキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのレスリングスタイルを学んだ。彼からは極端なマッチョを嫌い、コンデション調整と多くのテクニックを学んだ」とコメント。

・ジョシュ・バーネットは「新日本プロレスは柔道家や空手家よりもプロレスラーが強く、プロレスが世界最強の格闘技と宣伝している」とコメント。「道場破りがやってくるとドアを閉めて叩きのめす」。

・ジョシュ曰く「日本人は戦いを見ることが大好きな文化で、誰が一番強いのか見たがっている」。

 今でも新日本に道場破りって来てるんですかね。あと「プロレスこそ世界最強のスポーツである」とも言わなくなったし。

・80年代に前田日明が新日本プロレスを永久追放され、新生UWFを旗揚げし、絶大な支持を受けた。そこには高田延彦、鈴木みのる、船木誠勝、田村潔司、ケン・シャムロックらが参加した。

・ケン・シャムロックは「UWFは真剣勝負だと思わせていた」とコメント。「パンチやキックをワークかシュートか見極めるのを難しくしていた」。

・前田自身は真剣勝負を避けて通ったが、選手生活のピーク時(80年代後半)に真剣勝負をやっていれば強かっただろうと思われる。

・ "In the gym, when they would go for real, Maeda was the man," Ken Shamrock says. "No one could touch him."
(変訳)
「道場でガチンコをやった時、前田は強かった」とケン・シャムロックは言います。「誰も彼に触れることはできなかった」。

・前田はスター選手だったので真剣勝負をする必要性が無かった。団体を成功させるためにも真剣勝負をするというリスキーなことも出来なかった。

・シャムロックはアメリカでプロレスをしており、友人のディーン・マレンコがUWFにビデオを送ってくれたことからフロリダで試験を受けることになり、UWF参戦が決まった。

・シャムロックは来日し、2時間の試験を受けた。30分ごとにスパーリングの相手が替わり、最初の2人は船木誠勝と鈴木みのるで、簡単にタップしてしまった。

・シャムロックは3週間日本に滞在し、試合前に船木誠勝、鈴木みのる、藤原喜明、高橋義生らとスパーリングをした。

・UWFは絶頂期の1989年11月に東京ドームに6万人の観衆を集め、興行収入は560万ドルを記録したが、舞台裏では社長の神新二氏とレスラー間で摩擦が起きてしまった。

・権力闘争があり、1990年12月にUWFは活動を休止してしまった。UWFは31大会中27大会をソールドアウトされるほどの人気を誇っていた。

 高橋義生がいる時点で第2次UWFと藤原組の記憶がごっちゃになっているのかもしれない。そもそもシャムロックが第2次UWFに参戦したのは末期の2戦のみだし仕方ないか。

 ジョシュ・バーネット、シャムロック兄弟のコメントは興味深かったし、これを書いたトッド・マーチン氏もグッジョブですね。このコラムの続きが近々掲載されるそうです。

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posted by ジーニアス at 08:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 海外格闘技 | 更新情報をチェックする
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