元横綱双羽黒の北尾光司さん死去 格闘家でも活躍https://t.co/pzhVkO42wO
— 日刊スポーツ (@nikkansports) 2019年3月29日
大相撲の第60代横綱で、現役横綱双羽黒のまま廃業し、プロレスラーに転身した北尾光司さんが亡くなっていたことが29日、分かった。55歳だった。
北尾さんは立浪部屋から1979年(昭54)3月の春場所で初土俵を踏み、86年(昭61)1月の初場所から大関、同年9月の秋場所から横綱に昇進。横綱として8場所務めた後、87年12月にトラブルで部屋を飛び出し、その後、師匠から当時の「廃業届」が提出された。1909年(明42)に優勝制度が導入されて以降、唯一、優勝経験のない横綱となった。これをきっかけに、横綱昇進は慎重な見方をされるようになり、大関として連続優勝、またはそれに準ずる成績が求められることになった。
相撲界を離れた後、90年2月10日の新日本東京ドーム大会で、本名の「北尾光司」でプロレスデビューした。クラッシャー・バンバン・ビガロとのデビュー戦を勝利。その後、SWS、UWFインターなどにも参戦し、総合格闘家としても活動したが、98年7月にプロレス、格闘技界からも引退した。
03年9月には、自身が相撲界にいた時とは代替わりしていたが、16年ぶりに立浪部屋を訪れ、部屋のアドバイザーに就任した。その際には「名門立浪復活の手助けをしたい」と、意気込みを語っていた。
当時から師匠を務める立浪親方(元小結旭豊)は「交流はその時の一瞬で、その後は連絡を取っていなかったから、最近の様子は知らなかった」と話していた。
北尾光司 - Wikipedia
Koji Kitao(Sherdog)
プロレスでは新日本プロレス、SWS、UWFインターナショナル、WAR等に出場。武輝道場を旗揚げしたこともありました。MMA戦績は『Universal Vale Tudo Fighting 1』のペドロ・オタービオ戦、『UFC 9: Motor City Madness』のマーク・ホール戦で敗れ、『PRIDE.1』のネイサン・ジョーンズ戦で勝利し1勝2敗。『PRIDE.4』で引退セレモニーを行っています。謹んでご冥福をお祈りします。
【追記】
北尾光司さん 早すぎる死 元横綱・双羽黒(FNN)
大相撲第60代横綱・双羽黒、本名、北尾光司さん。
2月10日午前7時30分、慢性腎不全のため、亡くなったことがわかった。
腎臓を患い、闘病生活を送っていたが、55歳の若さで旅立った。
なんと、そんなに前にお亡くなりになっていたとは…。しかもプロレスデビューした2月10日…。
それにしても早すぎるが。
ご冥福をお祈りします。
ご冥福をお祈りします。
ちなみに日本人初のUFCファイターは大道塾の市原海樹でしょ。