kamipro No.128の早売りを購入したので軽く雑感を。
今回はPRIDE特集ということで、どのページもPRIDE、PRIDEなわけですが、個人的にツボにハマったのは高山善廣、永田裕志、柴田勝頼のインタビュー。まずは高山善廣インタビューから。
――もともとPRIDEに上がるっていうのは、向こうからオファーがあったんですか?
高山 いや、当時は俺、ノアの所属選手だったから、「PRIDEに上がりたい」っていう希望を三沢(光晴)さんに言ったの。
――へぇ~っ! 高山さんから三沢さんにお願いしましたか。
高山 そしたら三沢さんが「いいよ」って。
――あ、簡単ですね(笑)。
高山 「いいよ。じゃあどうすればいい?」って言われて、当時はDSEの社長が森下さんだったから、「森下さんに会ってください」って言って、会いに行ってもらって。そういう意味では三沢さんには凄い感謝してますよ。
(中略)
高山 最初は日本テレビとノアの契約だと、所属選手の放映権は日テレの独占契約だから、もし俺がPRIDEで試合をしてもフジテレビの電波に乗らない可能性が高いって言われてたんですよ。(中略)だから「それは困る」って三沢さんに相談したら「だったら所属は抜けてフリーとしてウチに上がり続けてくれればいいよ」って、全部向こうから言ってくれたの。
ヤバイ、うっかり三沢さんのことが好きになりかけた(笑)。他にはドン・フライ戦がなぜああいう試合になってしまったのかという話などをしていますが、その辺は本誌でご確認を。
続いて永田さんインタビュー。
――そんな中で2001年の大晦日に永田さんはミルコとやるわけですけど、あれはやっぱりミルコ戦を飛躍のきっかけにしようとしたわけですか?
永田 最終的にはそうですけど、やっぱり周りに焚きつけられましたよ、正直言って。
――ダハハハハ! とくにどなたに焚きつけられたんですか?
永田 藤田(和之)君と『週刊ゴング』の金沢さんですね(笑)。
――GKが焚きつけましたか(笑)。
永田 あの二人は仲がいいじゃないですか。まずは藤田君が「石澤(ケンドー・カシン)先輩やりましょうよ」とか「永田先輩やりましょうよ」とか、よく言ってたんですよ。
(中略)
――でも、勝負をかけるには、あまりにも準備期間が短かったですよね。
永田 試合が大晦日で、話があったのは11月半ば、正式に決まったのが12月に入ってからですからね。それでもやってしまったのは、僕自身の認識の甘さもあったんだと思います。だから、11月~12月の巡業中にダン・デバイン(ドン・フライの弟子)に稽古つけてもらったり、(ケンドー・)カシンにアドバイスもらったりしたんですけど、カシンからは「やめとけ」って言われたんですけどね(笑)。
自分がミルコに負けたので永田さんも巻き込もうとした藤田も酷いが、GKはもっと酷い(笑)。そんな中でカシンだけが冷静だったってのも笑える。その他にも「総合格闘技に勇気を持ってチャレンジしていく」みたいなテーマを掲げたくせに具体策がなかった上井文彦氏を批判しているのですが(苦笑)、その辺りは本誌で。
最後に柴田勝頼インタビュー。
――新日本のほかの選手もPRIDEのことが気になってたんですかね?
柴田 みんな興味があったはずですよね。なぜかっていうと、初期PRIDEの頃は、PRIDEの大会があるたびに、移動バスの中で録画したビデオをみんな観てましたから。
――そうだったんですか!
柴田 で、PRIDEのビデオを観たあと会場入りするじゃないですか。そうすると、みんなその日の練習がセメントになるんですよ(笑)。
――ダハハハハ! すっかり影響されて(笑)。
これは傑作(笑)。あと最後の「スーパーUWF」の話も笑えたけど、これは本誌の方で。てか、リングスの復活も当時は「ひょっとしたらHERO'S傘下で…」っていうレベルだったし、ましてや「スーパーUWF」なんて言われても勝手に興奮していたのは一部の狂信的信者だけだったのでは?
えーっ、あとこの号の最後の方になぜか私が座談会で参加しています。ゴン格に続いてまた呼ばれてしまった…。
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ビックリしました。
彼の総合参戦も期待したいですが。
kamipro座談会に呼ばれたんですか。恐れ入ります。
私もビックリしています。
>liteさん
ガチドラとは大違いです。
>ryuさん
三沢さんはプロレス界の最終兵器ですから参戦は難しいでしょうねぇ(苦笑)。
>マルキューさん
大したことしゃべってませんが、立ち読みでもしてやって下さい。
>ケムオカさん
ブルース・リーやロッキーでその気になってしまうというのは定番ですね(笑)。