「いまはクロアチア人」日本から消えた石井慧、波乱万丈の10年(Yahoo! ニュース)――日本ではほとんど知られていないポーランドの格闘技団体のKSWにも出場しましたけど、すごいらしいですね?
「めちゃめちゃ盛り上がってます。昔のPRIDEみたいなバブルです。(2017年5月に開催されたKSW.39は)5万7000人も入りました。東京ドームが満杯みたいな感じです。じつは、ぼくは日本でのマーケットを意識していないというか、もう日本を捨ててるというか、別にいいやという感じなんです。それよりもKSWに出ることによって、ヨーロッパのファンに知ってもらえるし、いま住んでいるクロアチアの人に見せられるところで戦うほうがいいかなと。あんまり気にしないですね、日本は」
――「日本のマーケットは意識していない」と、その心境にいたった理由は?
「日本を捨ててはないですけど、やっぱり日本人ですから、気にしてたんですけど、そうすることによって、自分自身の素の部分を出せないのがあって。日本はいろいろ気にしないとダメなところがあるじゃないですか。自分が感じてることを言っちゃいけない国じゃないですか。だから、一回吹っ切れることによって、よくなって来ましたね」
――6月6日に初参戦したアメリカの団体のPFLではクロアチアの選手として出場して、クロアチアの国旗を持って入場しました。日本ではなく、クロアチアを選んだ理由は?
「いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)」
――クロアチア国籍をとることも考えてます?
「あ。国籍とりましたよ」
――本当にクロアチア人なんですね?
「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」
――2008年の年末には、石井選手への独占交渉権がアメリカのメジャー団体のUFCに与えられました。契約がまとまらなかった理由は?
「ぼくのまわりにいた人たちですね。あのころは、UFCだけに限らず、いろんなことがありました。21歳というのもあり、そこで初めて、全員を信じちゃいけないんだなと。世の中には変な人もいるということを学びました(苦笑)」
――最終的に選んだのは、日本の大みそかでデビュー戦の相手は柔道界の先輩の吉田秀彦選手でした。あのデビュー戦は?
「もっと弱い選手とやるべきだったと思いました。それでも、一戦目からベテランの選手と戦うことができたのは、いい経験になりました」
――あの一戦で「石井選手は弱いんじゃないか?」というイメージが定着しました。ご自身ではどう思いますか?
「もうしょうがないと思いますね。勝負の世界だし。日本って、やり直しがきかない国だと思うんですよね。アメリカと違って。例えば、一回犯罪を犯しちゃうと、もう芸能人でもやり直しがきかないじゃないですか。でも、アメリカとかだと、ドラッグしようが何をしようが、また戻ってくるじゃないですか」
現在は「クロアチア国籍でチャンピオンになりたいんです。それがモチベーションです」とのこと。
posted by ジーニアス at 15:52|
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